mark 【口語訳遠野物語】乗り打ちの禁止と知行地の御印紙

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 こんな問いかけがありました。
 直栄様が遠野へお引越しになられた始めの頃には、南部藩の者たちが、盛岡の御城下のように、遠野の城下でも馬に乗ったまま通らない決まりになっていたという話があります。もしもそれが本当であるならば、今もその様であるはずなのに、馬を下りる者がいないのは、これは間違った言い伝えだと思うのですが、本当のところを御存知でしょうか。
 このように答えました。
 私が伝え聞いている老人の古い話では、直栄様への領地替えの御頼みをお受けするよう強くお命じになられたとき、利直様が次のように仰せになったそうです。「遠野は他領との境の地であるし、あなたが政事を行う上での威光になるだろうから、南部領内の者たち皆が遠野城下では牛馬に乗ったまま通らないよう諸代官へ申し伝えておく。しかしながら、盛岡城下のように馬を繋ぐ杭を設置するのは差支えがあるだろうから、それはやらなくてもいいだろう。そこで、あなたの家臣を町宅に住まわせ見張らせ、もし牛馬に乗ったまま通る者がいれば住所と名前を聞いて、役人からその支配頭(知行地の責任者)へ伝えて注意させるように」とのことでした。それに対して直栄様は「お気持ちは有難く幸せなことですが、盛岡御城下とは違い、私が預かる遠野城下で下馬の取り調べをしては、南部領内の大勢の民衆の中には支配頭からの通達が行き届かず、知らずにいる者もあるでしょうし、また、他領の住民を南部領の住民と間違えてしまっては、このために喧嘩や口論などの騒ぎがなくならず、政事の支障になるのではと心配です」とご辞退されたのですが、たっての御命令だったため、これ以上ご辞退するのは、利直様のお考えに反することにもなりかねないので、まずはお受けして、何か差支えがあった場合には、だんだんに申し上げることにして、遠野に御引き移りになりました。
 直栄様は中居林兵部、石懸小三郎の二人へ「南部御領内の民衆は遠野の城下で乗り打ちしてはならないと諸代官へ仰せ付けられるので、町宿に家臣を配置し、もし乗り打ちする者があれば名前住所を確認し、支配頭に注意させるよう御命令があった。これから下馬の改めをする役をあなた方二人に申し付けるので、町宿に居て、乗り打ちの者がいたら他領の者か、それとも南部藩領で遠野以外の地域の者か、と念を入れて聞き、他領の者であれば乱雑に扱わずに丁寧に説明して、たとえ相手が抗議を申し立て、そのまま乗り打ちしても頓着せず構わず通して、そのことを役人たちへ伝えておくように。また、前々から他領へ欠落したり、行方知れずのならず者たちについても、生まれ故郷の様子や遠野領内の政治の良し悪しや、あれこれと批評を言うので心にとめて聞いておくよう、これも役人たちに言っておくように。第一ここは七つの街道、七十里の道のりを辿って諸商人が集まり、市の立つ日には他領や他郷のならず者たちも紛れ込み、万引きやスリの喧嘩や口論もたびたび起り、騒がしいところだと聞いているので、この警固の命令はなんとかこの地が概ね静かに収まるまでの間、大儀なことだとは思うが、しばらくの間、兵部は一日市町へ、小三郎は六日町に住み、役目を勤めるように」と仰せつけました。二人は再三にわたり辞退申し上げましたが、強く御命令があったので、断るすべもなく役目をお受けし町場の家に住んだそうです。八戸から引っ越してきた家来たちの中から、真面目で誠実な人柄の人物をお選びになり、兵部と小三郎の二人にお命じになったそうです。その後、寛永十七年(1640)頃、直栄様がお願い申し上げました。「南部領の住民たちは遠野の城下での乗り打ちの取り調べで、これまで御指図いただいたとおり町宅に家臣を配置しておりましたところ、乗り打ちする者もなく、これ以上私が引き移ってき始めの頃とは違い、いつまでも盛岡御城下同然に領内の住人を下馬させることは、遠慮の気持ちもございますので、下馬させるのを控えさせたい」と仰せになれば、「思慮深い考えではあるが遠慮には及ばない、今まで通りにせよ」と重直様から仰せがありました。しかし再度お願い申し上げたので、乗り打ちの禁止をやめることになったそうです。遠野南部家の御威光になることをわざわざお願いし、下馬をやめさせたことは表だって言えないので、内々の差支えがあったのだろうと伝えられているそうです。詳しい理由は知らない言う老人の話を聞いています。

※「乗り打ち」とは、身分の高い人や神仏の前を馬や駕籠から降りずに通り過ぎることで、無礼なことだとされていました。


 こんな問いかけがありました。
 直栄様が八戸を御出発する前に、利直様から、遠野の知行地と藩の北部にある知行地と合わせて一万二千五百石の御印紙(知行地を安堵する書状)を出されたとき、直栄様の御家来衆への知行地についても、村の名前を添えた御印紙を発行されたという話があります。直栄様への御印紙のほかに御家来衆への御印紙まで出されたというのは腑に落ちない事です。詳しい話を御存知でしたら教えていただきたいです。
 このように答えました。
 御家来衆への村の名前を明記した知行地の御印紙は、すべての家臣に対して出したのではなく、百五十石以上の家禄を貰う高い身分の方々のみだったと聞いています。その理由は、遠野へ来て早々に家来の知行地を配分をしては、田地の上中下が不案内であるため、配分する土地の良し悪しが同じでなければ、そのうち面倒な申し出もあるだろう、上からの御指図でいただいた知行地は、たとえ不満があっても言い出せないだろう、とのお考えがあったそうだと、その頃の世間の噂があったという老人の話を聞いています。 
カテゴリー 口語訳遠野古事記