mark 【口語訳遠野古事記】城代の頃の家臣たちの家屋敷

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 上野右近の死後は毛馬内三左衛門殿(知行五百石)と槻舘左兵衛殿(葛西浪人東山七騎の一人、知行五百石)が交代で遠野城代を勤めていました。その頃の家臣たちの屋敷は、次の通りです。
屋敷名 石高 名前 備考
南舘(二の丸) 八百石 (後に七百石を減じられた) 大原 新右衛門 (葛西浪人)
(同) 五百石 濱田彦兵衛(同上)
中舘与四郎屋敷 三百石 細越与三郎
福田作兵衛屋敷 三百石 駒木隼人
大手御門下武者溜 四百石 西風舘典厩 (右馬之丞ともいう)
新田茂左衛門屋敷 二百石 平倉平蔵
工藤四郎右衛門旧屋敷 四百石 宮森助十郎 助十郎の父・主水の代まで祖先から上下宮森千石を領地として小澤舘にいたという。この子孫が新田の家中にいる。
澤里弥右衛門屋敷 二百石 高屋四郎左衛門 (葛西浪人) 始めは無職の居候でこの屋敷にいたが、その後知行地をいただいた。
おばご様屋敷 二百石 大町宇右衛門 (江刺浪人) 高屋と同じ
 おばご様という方は、新田左馬之助様の妹で直栄様の伯母様です。津軽家中の左越氏へお嫁入したのですが、息子の左越木工殿の代に津軽に居づらくなる事情があり、木工殿とおばご様母子、妹婿清水正兵衛殿夫婦を遠野へ引き取り、木工殿へ百石、清水へ五十石を下され遠野でお世話をしていました。木工殿は早くに亡くなり子どもがいなかったので家は断絶しましたが、伯母様が存命中に援助して住まわせていた御屋敷がおばご様屋敷です。
屋敷名 石高 名前 備考
大手井の下、溜池の端 百二十石 白岩嘉兵衛
坂の下
屋敷名 石高 名前 備考
中舘彦四郎屋敷 二十石 人首監物 (江刺浪人) 始めは無職の居候で此の屋敷にいたが、直榮様が遠野に移ってから二十石を頂いた
御蔵屋敷 三百石 欠下茂左衛門 (葛西浪人)
工藤権左衛門屋敷 五十石 平野原久兵衛
橘治五助屋敷 始めは平清水の休息屋敷だった
清水伝右衛門屋敷 百石 木下半兵衛
小向六郎左衛門屋敷 伝勝寺
砂場
屋敷名 石高 名前 備考
及川紅円屋敷 三十石 五日市又五郎
中居林條助屋敷の辺りから是川助右衛門屋敷まであるだろうか 七十石 栃内主計
及川善右衛門在府屋敷と新田小三次屋敷の辺り 百石 畑中久七
石倉
屋敷名 石高 名前 備考
中舘孫六屋敷 百石 沼荒次郎
松田安兵衛屋敷 百五十石 本宿因幡 始めはおばご様屋敷にいたが、左越殿を遠野に引き取る際にこの屋敷へ移った
米内弥太夫屋敷 五十石 中澤外記
菊池俊良屋敷 五十石余 菊池五郎太夫
小笠原十蔵屋敷の辺り 三十五石 金新助 始めは無職の居候でこの屋敷にいたが、利直様から知行地を頂いた
石倉にあるが屋敷の分からないもの
屋敷名 石高 名前 備考
畑中久兵衛
七十石 菊池理兵衛
四十石 浅沼六右衛門
六十石 飯豊又右衛門
経谷ヶ沢
屋敷名 石高 名前 備考
七十石 富澤十三郎
 搦手井戸(からめていど)の下の辺り、経谷ヶ沢から馬場の辺りまで御城代付の足軽の屋敷が三十軒ありました。一人へ二人扶持を下されていたそうです。妙泉寺・善応寺の寺屋敷は、今の新町の北面に向かい合っていました。
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