mark 今年はちょっと違います!!【ひな人形展】

今年もこの季節がやってきました。
私たち博物館にとっては今年度最後の大きな展示、「遠野のひな人形」展です。
この展示作業が終わると、春だなあとしみじみ思います。
学芸員日記ひな①

いつものように重い雛段を組み立てて、雛道具のお椀の蓋が合わず、これでもないあれでもないとぱかぱか合わせてみるのですが、今年はちょっと違います。

なんと今年は初公開の雛人形があるのです。
それがこちら!!
学芸員日記ひな②
遠野では珍しい次郎左衛門雛です。
これは盛岡市の及川氏からご寄贈頂いた雛人形です。
及川家は遠野で「及新」という屋号で呉服店を営んでいました。

また、この次郎左衛門雛の大きな特徴は顔です。
「引目鉤鼻」と言って、筆ですっと書いたような細い目に、ほかの雛人形より高い鼻が特徴です。
この雛人形はその名の通り、京の人形屋 雛屋次郎左衛門が制作したといわれる雛人形です。この次郎左衛門は幕府で御用を務めていて、江戸に店を持っていました。
この次郎左衛門雛は雛人形の流行に関係なく作られ、武家や公家に重んじられました。

(いやあ、まさかこの遠野でお目にかかれるとは思いませんでした!!やった!!)

また、今回は及川家と共に遠野市の両川家からも雛人形をご寄贈いただきました。
両川家は江戸時代の遠野の豪商で、伊能嘉矩がその当時の店の様子を
「新町の橋畔より今の下横町の右角まで町の片側の全部を連なる店」(伊能
嘉矩著『遠野くさぐさ』より)と書いているほどです。
そんな両川家から頂いた享保雛がこちら!!
学芸員日記ひな③
いやあ、大きいですね。
享保雛は顔が面長で里芋のようなので里芋雛とも呼ばれています。
また特徴としては女雛の袴が丸くふっくらしているところです。
でかい・顔面長・袴がふっくらの三拍子そろっていればほぼ享保雛と言ってもいいと思います(多分)

遠野市立博物館ではこのほかにも初公開の雛人形や雛道具、掛軸なども展示しています。
3月11日(日)までの公開になりますのでぜひご覧ください。

また「雛人形ってそもそも何?」「どんな種類があるの?」という方の
ために当館学芸員によるギャラリートークも行います。
雛人形についてより詳しく知りたい方はぜひご参加ください!!

◆ひな人形展示解説(ギャラリートーク)◆
ひな人形についてより詳しく知りたい方のために、当館学芸員が展示解説をします。
質問なども聞けますので、ぜひご参加ください。
※当日時間までに企画展示室にお集まりください。

・日時 3月2日(金)午後1時半~午後2時
・場所 遠野市立博物館企画展示室

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mark 特別展「伊能嘉矩と台湾研究」の見どころ

平成29年7月21日(金)から特別展『伊能嘉矩と台湾研究』が開催されています。
7月21日(金)~9月24日(日)までは第1期になります。
今回はその見どころを紹介します。

学芸員日記用①

◆台湾大学から借りてきた伊能が収集した当時の原住民の資料!!
今回の展示は台湾にある台湾大学や、台湾大学図書館から伊能が台湾を調査した際、
収集した資料を借用し、展示しています。
今回の資料が展示されるのは約90年ぶりになります。

皆さんは原住民と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?
裸に腰巻?肉を丸かじり?槍を持っている?
伊能が調査した当時の台湾原住民はとってもオシャレです。
部族によって服装は異なりますが、女性は髪を束ね布を巻き、アクセサリーなどを身に着け、服にも何枚も布を巻いています。男性もその部族の民俗衣装などを身に着けています。
また台湾原住民の服装は刺繍が細かく施されたものも多く、現代の私たちが見ても「素敵だな」と思う物も多いです。
残念ながら借用した資料の写真をこちらに掲載することはできないので、是非博物館で実物をご覧ください。
※なお、台湾からの借用資料は第1期のみの展示になりますので、お早めにご覧ください!

◆伊能の研究に対する姿勢が伺える資料!!
今回の展示では伊能家から寄託されている資料や当館で所蔵している資料なども展示しています。
中には伊能が台湾原住民を研究するにあたり自ら製作した調査の詳細な分類や、台湾原住民を調査する際の決意などが記載された文書、記録も展示しています。
伊能は研究に対し、大変な熱意と意欲を持ち、そして正確に記録しようと努めた人物でした。
その研究姿勢や論文は柳田國男など多くの研究者に影響を与えています。
柳田國男も絶賛する「伊能嘉矩」とはどのような人物なのか、ぜひその人柄を感じて行って下さい。

◆原住民族の写真!
展示の中には原住民族を映した写真も展示しています。
伊能が台湾を調査した当時は、治安もさることながら、厳しい自然やマラリアなどの病気の他、野盗や首狩りの風習から身を守らなければなりませんでした。
首狩りと聞くと野蛮だなと感じる方もいるかもしれませんが、首狩りの風習があった台湾原住民にとっては、とても重要な儀式のひとつでした。
今回はその首狩りの風習の様子や、原住民の伝統楽器を演奏している様子、踊りを踊っている様子などその当時の原住民写真も展示しています。

◆伊能だけじゃない!台湾に渡った岩手県の先人!!
今回はさらに伊能嘉矩の他に、台湾に渡った岩手県の先人として後藤新平と新渡戸稲造の資料も展示しています。(後藤新平の資料は後藤新平記念館よりお借りしました。後藤新平に関してより詳しく知りたい方は、是非記念館へ!)
後藤新平は明治31年(1898)に台湾総督府民政長官となり、経済改革と当時台湾で社会問題になっていた阿片の取締りを行いました。
また新渡戸稲造は、後藤新平に招かれ、明治34年(1901)台湾総督府民政部殖産局長心得に就任します。そこでサトウキビやサツマイモの普及と改良に大きな成果を残しています。

(おまけ)私、頑張りました!!伊能のパネル!!

学芸員日記④
今回の展示は子どもには少し難しい展示になってしまいましたので、少しでも伊能嘉矩に親しみを持ってもらおうと、等身大パネルを製作しました。ちなみにこれは明治34年(1901)に台湾にて撮影した写真になります。
特別展が行われている展示室は写真撮影禁止ですが、このパネルは写真撮影OKですので、是非皆さん色々なポーズをきめて伊能さんと一緒に写真を撮ってくださいね。

(小原)

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mark 今年は伊能嘉矩の年

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皆さん、お久しぶりです。

年度末は新しい職員を迎える準備やインターネットの利用方法が変わるなど、さまざまなことが事務所で起こりまして、学芸員日記の更新が滞ってしまいました。大変申し訳ありません。
また今年もちょこちょこと若手の職員が更新していきますので、よろしくお願いします。

さて、5月9日は伊能嘉矩生誕の日です。2017年で生誕150年になります。「伊能嘉矩について知らない」という方も多いと思います。
伊能嘉矩(いのうかのり)は慶応3年(1867)に横田村新屋敷(現在の遠野市東舘町)に生まれました。明治27年(1894)4月に東京人類学会例会で「オシラ神に就きて」を講演し、翌月の東京人類学雑誌に「奥州地方に於いて尊信せらるオシラ神に就いて」を発表しました。また、明治28年(1895)、日本の新しい領土となった台湾に渡り、台湾総督府の嘱託などをしながら、各種族の言語・習慣・生活様式・地理・歴史等についての調査に情熱を傾け、明治38年(1905)に帰国するまでの10年間に『台湾蕃政志』をはじめ、図書・雑誌・論文等、膨大な量の著述を行いました。遠野に帰郷後は『台湾文化志』などの台湾調査の原稿をまとめたほか、遠野の歴史と民俗の調査を行い、『上閉伊郡志』『遠野史叢』『遠野方言誌』等の執筆に打ち込みましたが、大正14年(1925)、台湾で感染したマラリアの後遺症の再発で永眠しました。

これだけ聞くとまるで神童のような印象を受けますが、実はヤンチャな面があったり、自分がおかしいと思ったことをはっきりと主張する強い意志を持った努力の人物なのです。

伊能嘉矩についてもっと知りたくなったあなたは是非5月9日(火)に行われる「初心者向け講座&ギャラリートーク」にどうぞ!
当館の学芸員が伊能嘉矩についてわかりやすく説明した後、実際に博物館内に展示されている伊能嘉矩の資料を解説付きで見学することが出来ます。
時間は
①午後1時半~午後2時半
②午後6時半~午後7時半
と2回、遠野市立図書館の視聴覚ホールで開催します。
平日ですが、仕事が終わったあとでも参加できる時間帯になっていますのでアフターファイブにも最適ですよ!

皆さんのご参加お待ちしております!!
お申し込みは遠野市立博物館まで
電話 0198-62-2340

(小原)

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mark 遠野市と福崎町(兵庫県)

平成26年、柳田國男ゆかりの地である兵庫県福崎町と遠野市が、友好都市を締結しました。
そして、本年度も文化交流の一つとして、それぞれの市町が展示を開催します。
本展は、遠野市において「柳田國男と兄弟の絆 福崎町」を発信し、柳田國男の業績と福崎町を紹介するものです。ふくさき1
柳田國男には、4人の兄弟がいました。長兄松岡鼎は苦学して医者となり、次兄井上通泰は眼科医の道を進み、2人の兄は生涯にわたって物心両面から弟たちを支え続けました。弟たちは兄を敬い感謝し、それぞれの道で大成しました。
本展では、遠野市のみなさまに5人の兄弟を広く知っていただくため、その業績を紹介するとともに、兄弟の絆に焦点をあてた展示を行います。ふくさき2ふくさき3

ちなみに、兄弟関係は下記の通りです
長男 松岡鼎
三男 井上通泰
六男 柳田國男
七男 松岡静雄
八男 松岡映丘

会期:平成28年10月8日(土)~11月6日(日)
場所:遠野市立博物館エントランス

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mark 企画展「加守田章二とその弟子たち」を開催します

10月14日(金)から11月23日(水・祝)まで企画展「加守田章二とその弟子たち」を開催します。
今回の企画展は平成27年度に沼田功氏から加守田章二陶房ゆかりの作品111点の寄贈を受けたことを記念し、当館所蔵の加守田章二作品、長男で陶芸家の加守田太郎氏の作品のほか、遠野時代の弟子たちの作品などを展示し、その生涯と弟子たちに与えた影響について紹介します。
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加守田章二(1933-1983)は、大阪府岸和田市に生まれ、20世紀後半の日本陶芸界に、異色の才能を燦然と輝かせた陶芸家です。高校時代から美術の才能を発揮し、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に進み1956年に卒業後、茨城県日立市の日立製作所関連の製陶所などで働いた後、1959年栃木県益子町に窯を借りて独立し、本格的な作陶生活を始めました。
1961年、鉄釉作品で妻昌子とそろって日本伝統工芸展に初入選したのを皮切りに、1967年には陶芸家として唯一、第10回高村光太郎賞を受賞。同年、伝統的な作風からの脱却を考えて日本伝統工芸展への出品をやめ、岩手県遠野市を初めて訪れました。
その後、遠野の新しい陶房と単窯で修行僧のように制作に励み、曲線彫文、彩陶など新境地を次々と発表し遠野時代を確立しました。1974年には、40歳の若さで、陶芸家初の芸術選奨文部大臣新人賞(美術部門)を受賞、デザインを研究し、独創的な器形を広く展開した加守田の作品は、従来の陶芸の概念を超え、多くの人を引きつけるとともに高い評価を受けました。50歳を前に夭折し多くのファンに惜しまれました。

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かもた3
この企画展は11月23日(水・祝)までとなっております。
皆さま是非お越しください。

(小原)

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