mark 猿ヶ石川の由来と相聞歌


金曜夜の読書会で読んでいる『遠野古事記』、今月は猿ヶ石川の由来についての部分でした。子どもの頃に誰かから聞いた由来は「川の中に岩があって、それが離れたところからみると猿のようにも見えるから“猿か?石か?”と尋ねた人がいたのが猿ヶ石川の名前の始まり」ということでした。 けれど、遠野古事記が伝える由来はちょっと違いました。 昔、山田出身の左内という男が宮中で雑役をしていたとき、清滝という官女に恋焦がれて和歌を贈りました。身分違いの恋の末に清滝は身ごもり、二人は宮中から逃げ出し、左内の故郷である山田を目指しますが、追手がかけられたため、東禅寺近くの岩屋に身を隠します。身重の清滝に、気の休まらない長旅も岩屋暮らしも酷だったのでしょう。清滝は病となり亡くなってしまい、左内は泣く泣く亡骸を埋葬して墓印に岩を置きました。麓から見上げたその岩が猿のようにも見えたと言い、そのため岩の傍から流れ出る川を「猿ヶ石川」と呼んだのだそうです。 身分違いの悲恋が由来だなんて、ロマンチック!石を猿と見間違えるのは同じなのに、ロマンスが加わるだけで受ける印象が全然違います。 また、遠野古事記には清滝と左内の和歌のやり取りが何首か伝わっています。 左内「雨ふらて うゑしさなひも かれはてん 清滝落ちて 山田うるほせ」 清滝「及なき 雲の上なる きよ滝に 逢んとおもふ さなひはかなし」 左内「かけ階も 及はぬ空の 月日たに きよきけかれの 影はへたてぬ」 清滝「よしさらは 山田に落て 清滝の 名を流すとも 逢うてたすけん」 ちょっとドキドキするような駆け引きの恋歌です。 一首目の左内の必死さ、身分違いの女性に振り向いてもらうためのストレートな告白が素敵です。 返事を出した清滝の、身分を意識させるツンとした言葉の中にも付け入る隙を見せて相手の出方を待つかのような二首目も素敵です。 受けた左内の三首目は、一首目よりも必死さが強いです。身分違いだっていいじゃないか、好きなんだ!という叫びが聞こえてきそうです。 その必死さを受けて、四首目の清滝の「よしさらは(ば)」につながるのでしょう。「よし、それならば」という意味の言葉です。直前の言葉を受けて、「あなたがそれほど言うのなら」という現代語訳で合っていると思うのですが、言葉を加えながら私の脳内清滝像で解釈するとこうなります。 「そんなに私に焦がれていると言うのね、仕方のない人。いいでしょう。“身分違いの左内と恋に落ちた”と私の名が世間に広まっても構いません。あなたに会って、枯れ果てそうだという命を助けてあげましょう」 こんな感じに、ちょっと上から目線でありながらも、世間からの批判を受けてもかまわないから会いたい、というメッセージがあるんじゃないかなと妄想しました。 和歌の良いところは、音ではなく文字で記されることで、言葉の解釈を読み手にゆだねているところだと思います。たった三十一文字の中に、情熱や感情を読み取らせるように言葉を配置する、和歌ってとても素敵です。 こんなふうに私の想像力を掻き立てた今月の『遠野古事記』の口語訳はこちらからご覧になれます。→【口語訳遠野古事記】猿ヶ石川の由来と御検地、小八戸氏 次回は1月9日㈮18時半から遠野文化研究センター大会議室で行います。 興味のある方はぜひお越しくださいませ。 【松浦】

カテゴリー 遠野あれこれ