mark 六角牛登山と天保の飢饉


遠野三山伝説のひとつ、六角牛山に登ってきました。 『遠野物語』の二話目に、三人の女神が早池峰・六角牛・石上のそれぞれの山を領すことになった経緯が記されています。末の妹女神が司る早池峰山は附馬牛の奥にあり、実は遠野の町中からは見ることができません。そのため、どーんと聳える六角牛山のほうが、なんとなく親近感があります。「我が家の庭から見える六角牛山はとにかく姿がいい」「いやいや、うちから見える六角牛山が一番!」なんて会話も聞かれるほど、遠野市民の日常に欠かせない風景のひとつです。 前情報として、「六角牛山はとにかく木が多くて、登りきるまでは見晴らしが良くない」「熊が多い」「難所はないがトレーニングコースのように黙々と登ることになる」…などなどの話を聞いていました。実際登ってみると、確かに木々や藪が多く見晴らしは良くありませんが、まだ紅葉が残っている木や、現代アートのような巨石が楽しかったです。休憩にちょうどいい石もありました。7合目手前までは傾斜も緩やか。これなら楽勝だな、と思ったそこから先、7合目から8合目は岩場が続き、風景も見えず、黙々と上を目指すストイックな登山道でした。しかし山頂に着くと、これまでの山道を耐えきったご褒美のように遠野の風景が広がっていました。   山頂から下る道があるので降りてみると、岩場にお地蔵様がいました。遠野の町を見守るように立っています。『天保六年』と見えます。天候不順による凶作が続いた天保年間に建立されたようです。   いま読んでいる江戸時代の商家の記録に、天保の頃に人々がどれほど厳しい生活をしていたのかが記されています。毎月の米穀の値段がどんどん高くなっていく様子とともに、充分に食べられないために人の心が荒れて盗人や火付が多くなる、食べていけない人が欠落(※棄農して土地から逃げ出すこと)して乞食が増える、飢えや病で人々が毎日死んでいく、その死骸を川原の桶に積んでいく、食べるものがなく一家心中…。読んでいると、「込り候(こまりそうろう)」という言葉が目につきます。とにかくいつも食べ物に困っています。食べることができない、という極限状態が続くことがどれだけ過酷なのか、恵まれた現代に生まれた私には想像しかできません。読み続けていると暗い気持ちになることもしばしばあります。 書中では「心さひしき(さびしき)世の中也」という言葉もたびたび出てきます。衣食足りて礼節を知る、という言葉もあるように、飢えに苦しむ人々の心は荒んでいたのでしょう。 そんな中で建立されたのだろうお地蔵さまは、餓死した人々の供養のためだったのかもしれません。 六角牛山頂で思いもかけずに天保の飢饉に思いを馳せ、お地蔵様が見守る遠野市外へ戻るため山を下りて行きました。帰り道はやはりストイックな登山道を黙々と下り、無事に家まで帰りました。 そういえば登山の2日前に六角牛山に今年最初の雪が降ったのですが、その後晴天が続いたので雪の気配はないかな…と思っていましたが、ありました!日影に雪が残っていました。 六角牛山に三度雪が降ると、里にも雪が降ると言われています。 もうすぐ遠野に冬がやってきます。 【松浦】

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