昨年12月から、少しずつ遠野古事記の口語訳をHP上で公開しています。 これは月1回開催する「金曜夜の読書会:遠野古事記を読む」の成果です。いつも資料を用意して下さる大橋先生をはじめ参加者の皆様、ありがとうございます。 ようやく先月の読書会の内容まで追い付きました。 今月の遠野古事記は「藩境塚」についてです。 ちょっとネタバレになりますが、面白かったので日記にしようと思います。 「藩境塚」は盛岡藩と仙台藩の境を示すために築かれた塚のことです。 両藩の藩境は奥羽山脈の駒ヶ岳から釜石の唐丹湾まで、約130㎞に及びます。このうち北上市内の一部が「南部領伊達領境塚」として平成12年に国指定史跡に認定されています。「南部領伊達領境塚は、全国に類を見ない大規模な境界施設であり、徳川幕府草創期からの東北地方の政治的緊張状況を顕著に示す遺跡として貴重なものである」というのが指定の理由です。 駒ヶ岳の山頂にあるお駒堂も藩境でした。 イメージとしては「お堂から北は盛岡藩、南は仙台藩。お堂はみんなのもの」という分け方なのかなと考えていましたが… なんと正解は「お堂の北半分が盛岡藩、南半分が仙台藩。お堂は両藩のもの」 お駒堂を半分ずつ共有していたのです。 カギも両藩の別当が各々持っていて、参拝するときも右が南部領民の参拝場所・左が伊達領民の参拝場所と別れていたそうです。 両藩が協力して建替える約束になっていたのですが、寛永8年(1631)に仙台藩が約束を破り勝手に建替えたため、盛岡藩では自領分のお堂北半分を取り壊し2本の柱を花巻城に持ち帰る、という騒動が起りました。 「そこまでするか」とも思いますが、駒ヶ岳から流れる夏油川の水利権をめぐる駆け引きだったという見方もあるようです。 昨年9月に駒ヶ岳に登った際にお堂に手を合わせてきたのですが、まさかあのお堂自体が半分に分割されていたとは…。 こんな感じで藩境の歴史に触れる今月の金曜夜の読書会は、 2月14日(金)18:30~20:00 会場:遠野文化研究センター会議室 途中参加も大歓迎ですので、興味のある方はぜひご参加ください。 あわせて、HPで公開中の【口語訳遠野古事記】の方もよろしくお願いします。 【松浦】