mark 伊能嘉矩~台湾と遠野のかけ橋~



伊能嘉矩は慶応3年(1867)5月9日、横田村新屋敷(今の遠野市東舘町)の代々南部家に仕える学者の家系に生まれました。幼名を容之助(ようのすけ)、名前を祖父・友寿(ともなが)の幼名を継いで嘉矩(かのり)と名乗りました。

嘉矩が3歳の時に母千代子が病気で亡くなり、翌年に父守雄は医学を学ぶため上京し、嘉矩は曾祖父九十九(つくも)、祖父友寿、祖母志奈のもとで育てられました。
幼い頃から勉学に励み、19歳の時に「日本維新外史」(漢文)、27歳の頃には大日本教育新聞の編集長となり『戦時教育策』や『戦時教育修身君』などを著しています。


オシラサマ 東北地方を中心に信仰される家の神・蚕の神・目の神

27歳のとき坪井正五郎に師事して人類学を学び、日本ではじめて東北地方のオシラ神信仰を「奥州地方に於いて尊信せらるオシラ神に就いて」と題して学会誌に発表しました。


昭和35年6月発行「東京人類学会雑誌」195号

明治28年(1895)伊能は学んだ人類学を実践するための新しい場所を求めて、台湾に渡りました。伊能は台湾総督府で仕事を しながら様々な種族の言語・習慣・生活様式等の調査に情熱を傾け、明治39年(1906)に帰国するまでの10年間に『台湾藩政志』をはじめ、多くの論文を執筆しました。

遠野に帰郷後は『台湾文化誌』などの台湾調査の原稿をまとめ、遠野の歴史と民俗の調査を行い、『上閉伊郡志』『遠野史叢』「遠野方言誌」などの執筆に打ち込みました。

 


明治34年12月台湾にて

また、『遠野物語』出版の前年にあたる明治42年(1909)、柳田国男が遠野を訪れました。その時に伊能は初めて柳田国男と対面します。二人は台湾での研究や民俗資料、遠野の伝承について話を弾ませました。

しかし、大正14年(1925)台湾で感染したマラリアが再発し、伊能は9月30日に59歳で亡くなりました。

伊能が亡くなった翌年には、伊能先生記念郷土学会が柳田国男を顧問に設立されました。伊能嘉矩の遺稿である『遠野方言誌』や『台湾文化誌』を出版し、伊能の功績を後世に伝えています。


年表

慶応3年(1867)5月9日(新暦6月11日) 伊能嘉矩誕生
明治13年(1880)14歳 横田村一番小学校全科を卒業、その後は外祖父江田霞邨(かそん)らの教えを受ける
明治19年(1886)19歳 12月 給費推挙生として岩手県師範学校に入学
明治22年(1889)23歳 3月 岩手県師範学校退学、その後上京
明治26年(1893)27歳 3月 大日本教育新聞の編集長となる
10月 東京人類学会入会、坪井正五郎に師事
明治27年(1894)28歳 4月 人類学教室を開き「オシラ神に就き」を発表する
5月 『人類学雑誌』に「奥州地方に於いて尊信せらる
オシラ神に就いて」を発表
明治28年(1895)29歳 11月 台湾総督府嘱託となる
12月 「台湾人類学会」創立
明治35年(1902)36歳 『台湾年表』を発行
明治41年(1908)42歳 2月 遠野に帰る
明治42年(1909)43歳 8月 柳田国男と対面
明治43年(1910)44歳 「遠野史談会」を設立
大正10年(1921)55歳 『遠野史叢』発行
大正14年(1925)59歳 9月30日 逝去
大正15年(1926) 「伊能先生記念郷土学会」設立
昭和3年(1928) 『台湾文化志』発行

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