mark 【第二回地域講座「謎の小平村~知られざる地名と歴史」報告】


日時:平成29年12月15日(金)18:30~20:00
場所:松崎地区センター「会議室」
講師:菊池秀男(遠野市史編さん調査研究員)
内容:「謎の小平村~知られざる地名と歴史」

報告:
今回の地域講座は「謎の小平村~知られざる地名と歴史」と題し、遠野市史編さん調査研究員の菊池秀男先生から、ご自身の研究成果を解説していただきました。
菊池先生は市史編さんの調査中に、このテーマに出会ったそうです。小平村は村高が「18石8斗余」。にもかかわらず、村民は「ゼロ」という不思議な村でした。古地図には猿ヶ石川沿いにその名がありました。菊池先生は「小平村」=「小平舘跡」と推測し調査を進め、中世舘の発見法として次の8つを挙げています。①古地図 ②古写真 ③伝承 ④地名・屋号 ⑤平地 ⑥川沿い ⑦境界 ⑧現地を見る。先生は以上のことから「小平舘跡」らしきものを2つ発見します。しかし、いずれも旧地籍図の「小平村」に存在していませんでした。けれども古地図で見る限り「小平村」は「舘跡」に違いなく、今まで全くその存在を知られていなかった舘跡であるとの結論に至ったそうです。どちらも存在したと考えれば、大河の側にあったので水害等の被害を受け近所に移転したとも考えられるとのことでした。
村高があるのに村民が「ゼロ」という件については、現在の上組町農家組合のことを例に挙げて、居住する所と耕す場所が別だったのではと話しました。
このような今では忘れ去られた舘跡が遠野にはたくさんあると思われます。江戸時代の事ですが、南部領内で1は盛岡、2が遠野。何事においても盛岡・遠野という位置づけでした。遠野は国境の町で常備軍が400~500人駐屯しており、それだけ発展している場所でした。そのため舘がたくさんあったと考えられるのです。
菊池先生は中世の水運の重要性についても指摘しています。現在では陸路のみが注目されていますが、川に沿って舘、あるいは蔵があり船が行き来して荷の積み降ろしをしていたのではないかと述べました。遠野古事記にも猿ヶ石川を利用して物を運んだという記述があります
赤坂所長は「大発見につながる研究が、今、市史編さんの周辺で始まっているということを遠野の人達に知ってもらいたい。また水運という、とても大きな問題提起をしていただいた。川をどのように利用していたのかという視点も必要ですね。」と語りました。

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カテゴリー 市民講座