mark 【第三回土曜講座「伊能嘉矩と地震伝承」報告】


日時:平成29年7月15日(土)10:00~11:30
場所:遠野市立図書館1階視聴覚ホール
講師:前川さおり(遠野文化研究センター調査研究課 課長補佐)
内容:「伊能嘉矩と地震伝承」

報告:
 平成29年度第3回土曜講座を7月15日に開催しました。今年は伊能嘉矩生誕150年の節目の年で、当文化研究センターでは5月から3回にわたって講座を行ってきました。台湾人類学者として名の知られている伊能嘉矩は、人類学のほかに、考古学者、地震学者としても大きな業績を残した人物です。今回は伊能嘉矩が、地震学に興味を持ったきっかけや、地震学についての論文、地震学への考え方について当文化研究センターの前川課長補佐が説明しました。また伊能が発表した、遠野には地震が起きても揺れないところがあるという伝説のある「不地震地」13ヵ所を実際に歩いて調べたことなどを紹介しました。スライドでは、「不地震地」の写真や伊能が持っていた台湾原住民の写真を紹介しながら説明をしました。
 前川補佐は、伊能の不地震地研究を調べていくにつれて、不地震地研究に至るまでに地震学に対する深い知識や彼自身の被災体験があることに気付いたと述べています。明治16年、遠野の青年たちと学問を通して自由の精神を学ぼうと「養成社」を創立します。同年4月には自由民権運動の結社「自由大濤社」を興した熊本の青年柄本伊平、林田遊亀と文通を始め、自身もこれの岩手支部として活動していきます。明治22年東京毎日新聞社に入社し、「岩手学事彙報」から明治25年にかけて「本邦地震史一班」を投稿します。
 この「本邦地震史一班」という地震学についての論文は、第2章までは科学の論文で、当時最新の地震学、そして地質学研究の地震のメカニズムを、非常にわかりやすく、しかも伊能自身の独創的な発想も交えながら紹介しています。そして第3章は日本の歴史上に現れた地震の事実を紹介しています。これを書いたきっかけは、明治22年7月の熊本地震であり、自分の同志の柄本伊平や林田遊亀のふるさと、そして自分にとって自由の精神のふるさとが被災したことが、強い関心を抱かせたのだと見解を述べました。また、東北では明治21年に磐梯山大噴火が発生し、本人も明治24年10月濃尾地震を体験しています。この論文は、伊能が新聞条例違反の疑いで収監されるなどの理由により2度中断しており、未完として明治25年に連載を終了しましたが、伊能が豊富な地震学の知識を持っていたことがうかがわれます。また、関谷清景などの地震学者もこの論文に目を通し、評価していたことが連載最後の記事からうかがわれます。
 その後明治26年には東京人類学会に入会し、東京帝国大学理科大学で人類学を学びます。そして明治28年には台湾へ渡り、原住民の調査研究を行います。明治37年の嘉義(斗六)大地震、明治39年の嘉義(梅山)大地震がきっかけとなり、再び地震学への興味が現れます。「臺灣習慣記事」と「東京人類学雑誌」に研究論考を掲載しますが、これは科学的な論文ではなく、伝説研究の論文でした。日本では古来、地震の原因を地中にいる「地震蟲」のせいであると考えていました。台湾に住む漢人や原住民にも同じような考え方があり、部族によって地震の原因となる生き物の違いがあると述べています。これは後の9部族分類に繋がっていたのであろうと考えられます。
 伊能の3度目の地震学への興味は、伊能が日本に帰って来てからの大正11年のことになります。台湾総督府資料編さん委員をしながら、岩手県の史蹟を調査、「遠野に地震でも揺れない地」の伝承があることに興味を持ち、岩手毎日新聞に「無地震地(むじしんち)」と「行燈(あんどん)森(もり)」を発表します。また大正12年の関東大震災後にも岩手毎日新聞に「地震の響」や「地震回顧」など論考を載せています。
 大正13年には「遠野史叢」の「猿ヶ石川流域における不地震地」を発表します。これは不地震地研究の集大成とも言える論考で、遠野を中心とした13ヵ所の不地震地を紹介しています。これらの不地震地には共通点が2つあると伊能は述べています。1つは多くの墳丘の特質を有すること、2つ目はある地点において岩石があることです。
 伊能の地震研究が佐々木喜善にも影響を与えていたことがうかがわれる論文があります。それは大正13年「遠野」第1号に掲載した「地震の揺らないと謂ふところ」という論文です。喜善はこの中で、「遠野には幸い地震が起きないというところがある。それはなぜかわからないが、今後の地震を研究する学者達に資料を提供する義務も誇りも遠野の人間にはある」と述べています。たくさんの地震に関する資料を、地震研究に役立てていこうという佐々木喜善の考えは伊能の目的と共通しています。
 このように伊能の地震研究は、若き頃の熊本地震をきっかけに、繰り返される大震災に接するたびに高まり、生涯にわたって連綿と続きました。その研究は、豊富な人文学的知識のみならず、最新の科学的知識に裏打ちされたものでした。災害が人間の考え方や心理、文学、科学に与える影響に着眼した視点など、伊能の地震研究が残したものは今なお新鮮であると、前川課長補佐は締めくくりました。
 今回の調査で訪れた松崎町駒木にある東北大学の遠野地震観測所についても付け加えました。岩盤や暮らしの振動を受けないことから遠野に観測所が置かれて、市内にいくつか観測点があります。その観測点は伊能の不地震地の地点を踏まえてのものではないとのことでしたが、何ヵ所か不地震地のポイントに接近した所に置かれていました。伝説と科学というものが遠野という地点で結びつき、現在も一致していて、最新の地震研究に向かおうとしていることがわかりました。
 最後に遠野文化研究センター顧問三浦佑之先生は、「言い伝えというのはまったく何もないところに現れてくるというのは考えにくい。それをどうやって証明していくか、どこまで証明できるのか興味深い。」と語りました。そして赤坂所長からは「伊能はすごい学者で、たくさんの仕事をしたにも関わらず、それが読まれてこなかったが故に名前が知られていない。研究者達の調査で、みんなが知れるようにした方が良い。」とまとめました。

DSC_0002(第三回) (1) DSC_0013(第三回) (1)

カテゴリー 市民講座