mark 【第一回土曜講座 「伊能嘉矩と女戦国大名・清心尼」報告】


日時:平成29年5月20日(土) 10:00~11:30
場所:遠野市立図書館1階視聴覚ホール
講師:前川 さおり(文化研究センター調査研究課 課長補佐)
内容:「伊能嘉矩と女戦国大名・清心尼」

報告:
 平成29年度第1回土曜講座を5月20日に開催しました。今年生誕150年の節目を迎える郷土研究家で台湾人類学者でもある伊能嘉矩と、遠野の女殿様である清心尼のつながりについて、当文化研究センター前川課長補佐が解説しました。
 講義では、まず、清心尼の生い立ちやどのような経緯で女殿様になったかなど、豊富な資料を基に説明しました。
 青森県八戸周辺を治める根城南部氏21代清心尼は大阪冬の陣へ部隊を派遣するなど、戦国大名としての役割をきちんと果たしていました。また、早くに夫を亡くし再婚を薦められましたが、尼になってそれを断ったことから、家臣や領民に「清心尼様」と呼ばれ慕われていました。八戸から遠野に所替えになっても“片角様のお叱り”(身分の低い家臣に神様のお告げを言わせる)や“へら持ち制”(家事について男に口出しさせない)などの方法で遠野をよく治めていたと言われています。鍋倉城で59歳の生涯を閉じた時の記録(盛岡藩雑書)には、「公」という敬称がつけられていました。この時代南部藩で「公」という敬称が用いられていたのは徳川将軍だけでした。このことからも、清心尼が南部藩の中で大変尊敬されていたことがわかります。
 この清心尼公に着目したのが伊能嘉矩でした。伊能は長く台湾で原住民の研究をし、台湾から帰ると清心尼公の顕彰活動を行います。一つは、遠野史談会を組織し、郷土資料の収集や史跡の保存を行い、明治44年に清心尼公の墓をつきとめ、修築したということです。
 もう一つは、大正12年に地元新聞に清心尼公の記事を寄せたことです。これは新しい女学校の新校舎落成を記念して書かれたもので、「女性が権利の拡張や社会的地位を要求するのは至極もっともなこと」としながら、「これから女学校を巣立っていく新しい女性には清心尼公の根底にある、人に対する愛を見習ってほしい」とも言っています。
 前川課長補佐は、「伊能の仕事の中で、清心尼公の顕彰活動や新聞の記事というものは小さなものですが、彼の思想・考え方を知る上で非常に重要であると考えます」と見解を述べました。
 講義の後には、受講者の皆さんとの活発なディスカッションもあり、清心尼公に対する関心の強さがうかがえました。
 最後に赤坂所長は、「伊能嘉矩という遠野にとって大事な先達の思想が、台湾研究だけではない場面から語られなければならない。遠野のみんなが伊能嘉矩の名前を知っているような時代にすることが必要。今年の色々な取り組みの中で正しい伊能嘉矩像が遠野の人達によって、共有される時代が来てほしい」と語りました。

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