mark 地域講座第1回 「綾織の一揆、激動の民衆史」報告


日時:平成28年10月22日(土) 10:00~11:30 場所:綾織地区センター 和室 講師:遠野文化研究センター学芸員 熊谷航 内容:「綾織の一揆、激動の民衆史」 報告:  今回の土曜講座は、「地域の歴史を地域の皆様と共に学ぶ地域講座」ということで綾織地区にお邪魔しました。 「一揆」とは、中世、近世の人々が集団で団結して行動することをいい、宗教的な意味を持つかどうか、どの身分の人が起こしたか、起きた時代などによって様々な種類に分けられます。第1回目は「綾織の一揆、激動の民衆史」を開催しました。 講座では、遠野に関する一揆の例を挙げ、その中から1803(享保3)年の「遠野通下郷他借年賦一揆」を中心に解説。『遠野夜話』の「享和の愁訴」によると、この一揆は御用金を20年年賦で課したことや、遠野領の各村に対し重税の割り当てをしたことに反対して起きたもので、領内の農民のほとんどが参加するという大がかりなものでした。一揆は二手に分かれ、一隊は北へ進み附馬牛方面から土淵へ向かい、もう一隊は南の小友・来内へ向かいました。両隊は松明(たいまつ)を持ち、貝を吹き、鬨(とき)の声を上げながら峠を越えて青笹の踊鹿野に集結したといいます。その後、一揆の要求が認められたのかは不明で、首謀者の3人は斬罪となり、一揆の密会の場となった綾織村の丹内権現堂は永久閉門となりました。  次に、同じ出来事でも『九戸地方史』には首謀者の名前が違って載っていること、彼らは逃亡したため指名手配されたという話で記録されていたこと、『上下郷愁訴記』では首謀者の三人は死罪を免れたが、綾織村山谷川の今助ら5人が斬罪にされたなど、同じ一揆でも違う内容で記録が残されている場合があることを紹介しました。  熊谷学芸員は「一揆は悪い歴史だと思う人もいますが、何も恥じることはなくて、自分たちの暮らしをよくしようと志を持って起きた出来事なので、立派な歴史なんだということを知ってもらいたい」とまとめました。  赤坂所長は「歴史ってどこでどう繋がるかわからないから面白いですね。いろいろな人たちの細い記憶の線がつながっていくと見えてくるのかもしれない」と語りました。  講座の最後には参加者を交えて、綾織地区にある丹内権現堂のことや一揆に関わった人物の由来についての話で盛り上がりました。 DSC_0004 DSC_0008 DSC01089

カテゴリー 市民講座