mark 土曜講座「もっと知りたい!遠野の先人」第3回報告



日時:平成26年11月8日(土) 10:00~11:30
講師:調査研究課 学芸調査補助員 田澤大輔
内容:宮守の畜産振興功労者 伊藤門内
報告:
後期土曜講座第3回は江戸末期から大正にかけて宮守の発展に尽力した伊藤門内を紹介しました。
門内は嘉永3年(1850)に宮守町下宮守塚沢の宇城(うしろ)という屋号の家に生まれました。門内は若い頃に、岩手の農村に残されている伝説を資料として書かれた『砥嶺神霊翁之夜話』の作者である佐々木儀三の下で勉強しており、そこで後に門内と一緒に宮守の発展に努める照井愛助たちと出会いました。
門内は明治6年(1873)に24歳の若さで下宮守村の副戸長に就任し、明治22年(1889)には市町村制の施行とともに合併した宮守村の初代村長に就任しました。村長に就任した門内は「みんなが平等に勉強しなければ村は良くならない。教育を広めるには子供だけに教えてもだめだ。親が教育の大事さを知らなければならない」と考え、授業参観の機会を作った結果、理解を示す親が増え、学校に来る子供も増えていきました。
また、同じ宮守村の照井愛助、遠野町の菊池源之助、菊池幸七たちと馬の品種改良に乗り出しました。失敗を重ねながら、日本の馬と外国の馬をかけあわせ、目標であった体の大きな馬をつくり、馬の産地の土台づくりを果たしました。この成果に対して明治42年(1909)に岩手県主催馬匹共進会において県から表彰を受けました。
さらに門内は農家の生活を豊かにするために、養蚕も奨励しました。明治34年(1901)には村費で養蚕伝習を行い、上閉伊郡の養蚕伝習所に入所する者に補助金を出し、伝習を修了した者には1年以上村の中で養蚕改良に従事すべきことを義務づけ、養蚕技術の改良に努めました。
農業・養蚕・畜産の振興を行い、村で良い製品が作れるようになってきたので、今度はそれをより多くの人に買ってもらうために交通の近代化にも力を注ぎました。当時道路整備が不完全だった花巻―釜石間の整備を梁川村(現奥州市江刺区梁川)村長伊達宗敬、谷内村(現花巻市東和町谷内)村長菅谷雄二郎と協力して完成させ、近代交通化の基本を作りました。宮守には門内の功績を讃えて、出来た橋を門内橋と称し、東和町にある旧田瀬小学校前には3人の功績を讃えた表彰碑が建てられています。道路を整備した門内は岩手軽便鉄道の開通にも精魂を傾けましたが、岩根橋―鱒沢間の工事が難航し資金を使い果たしてしまい、工事を中止せざるを得ない状態になりました。しかし門内が岩手県議会に強く働きかけた結果、岩手軽便鉄道株式会社に対し、10万円の補助が緊急決議され、花巻―鱒沢間の鉄道を開通させることが出来ました。
当時の宮守村には医者がいなかったので、明治37年(1904)と明治40年(1907)には飲料水の検査を行い、他にも万年床の全廃や伝染病の防止など村民が病気にかからないように宮守村の衛生環境の改善にも努めました。
上閉伊郡会議長を務めていた門内は、大正7年(1917)会議中に病を患い、同年1月25日に69歳でこの世を去りました。現在塚沢神社の境内には門内の功績を讃えた彰功碑が建てられています。
今回の講座では伊藤門内の子孫の方からは門内に関する話、他の参加者の方からは昔の遠野の馬などの話を聞くことが出来ました。

佐々木儀三について詳しくはコチラ

11月15日(土)には所長講座「北のはやり歌~昭和歌謡と東北の精神史~」があります。詳しくはコチラ
次回の土曜講座は12月13日(土)「馬術の名人 四戸三平」です。詳しくは⇒コチラ

門内の彰功碑(塚沢神社)


講座の様子です

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