mark 土曜講座「遠野の歴史と文化を探る」第1回報告


日時:平成26年5月10日 講師:文化課課長補佐兼係長 佐藤浩彦 内容:歩いて学ぶ鍋倉城 報告:  平成26年度土曜講座前期第1回は、講師による解説を聞きながら鍋倉城跡を歩きました。  鍋倉城は下野国(現在の栃木県)阿曽沼郷を発祥の地とする阿曽沼氏が築いた城です。阿曽沼氏は最初に横田城(護摩堂城・現在の遠野市松崎町横田)を本拠地としていましたが、第13代阿曽沼広郷(ひろさと)が領主であった天正年間(1573~1592)の頃に現在の鍋倉山に移り、鍋倉城を建てました。城の移転の理由を『阿曽沼興廃記』は「猿ヶ石川度々の洪水にて、川向いに居住する諸士、往来遅滞して急用差し支えこれある故・・・」と説明しています。 阿曽沼氏没落後、遠野は三戸南部氏の支配下に入りました。最初は盛岡藩直轄地として城代(城の管理を任された家臣)が置かれましたが、治安の悪化や仙台藩との藩境である重要性を考え、寛永4年(1627)、盛岡藩主南部利直(としなお)は、八戸を本拠地とする根城南部氏に所替えを命じて治めさせました。 戊辰戦争後、奥羽越列藩同盟に加わった盛岡藩は明治新政府による処罰の対象となり、白石(現宮城県白石市)に領地替えさせられ、鍋倉城は明治2年(1869)に信州松本藩によって接収された後、取り壊されたと言われています。 昭和51年(1976)には都市公園として指定を受け鍋倉公園となり、市民の憩いの場となっています。

   

今回の講座では市立図書館から出発し、南部神社→沢里・工藤屋敷跡→水溜め堀跡→空堀→本丸跡→大手門跡→城内馬場跡→小新田屋敷跡→二の丸(新田屋敷跡)→三の丸(中舘屋敷・福田屋敷跡)という順路で歩きました。 本丸屋敷跡の北端部には、池と建物があったと考えられ、当時の人達はここで池を眺めて詩を詠むような優雅な生活を送っていたのではないか、という話や、本丸跡に残っている礎石の変色している範囲から柱の大きさが予想できる、といった鍋倉城本丸跡の発掘調査を行った講師ならではの話にみなさん興味をもって耳を傾けて下さいました。 他にも、現在の大手門跡は石段が整備されているが、当時の本丸までの道は蛇行していて、敵が侵入しにくいつくりになっていたのではないか、行燈掘へ向かう真っ直ぐな道は城内馬場という人馬の練習場で流鏑馬などが行われていたと思われる、といった話も聞きながら鍋倉城があった当時の情景を思い浮かべて歩くことができました。 次回の土曜講座は6月14日写真展「東北」トークイベント「東北は世界にどうみられたか」です。 詳しくは⇒コチラ   

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