mark 土曜講座「もっと知りたい!遠野の先人」第6回報告


日時:平成25年12月14日(土)10:00~11:30
場所:遠野文化研究センター大会議室
内容:「フロンティアの世紀~外山開拓の祖・及川源次郎~」
講師:調査研究課学芸員 菊池信代
報告:
 後期土曜講座2回目の今回は、遠野市小友町外山地区の開拓に着手した及川源次郎に焦点を当てました。及川源次郎は1640(寛永17)年に及川館主・及川家恒の次男として生まれました。及川家は清和源氏の流れを組み、祖父恒吉の代に小友村に土着し、遠野南部家に仕え藩境警備を務めました。
 源次郎は10代半ばで外山の開墾を目指し、資金調達の為に名取沢のヨビというところで坑夫を募り金の発掘をはじめました。資金もだいぶたまってきた寛文年中(1661~1672年)に開墾に着手しようとしますが、人々は「外山は小友とは別世界で、大小の石が転がり吹く風冷たく小鬼、山賊のすみかであるから、開拓できない。」として反対しました。源次郎は「外山に生える柿の木は気仙に生えるそれと同じ実をつける。開墾して人家を建てれば暖かくならない理由はない。」として自ら鋤、鍬をふるい先頭にたって開墾しました。
 そして32歳の1667(寛文11)年には20石に収穫高を増やし、その功績を認められ時の遠野南部領主である直義から20石を与えられて遠野南部家士となります。坑夫たちは外山に土着し、農民の移住者も増えました。源次郎は人々に対して農産業だけでなく剣術、柔術などの武芸を奨励しました。これは略奪に対抗する自衛手段であり、非常時には胡桃貝(胡桃の木をくりぬいてほら貝のようにした道具)を吹いて各家が助け合うことを約束させました。
 源次郎は1704(宝永元)年65歳で生涯を終えました。単なる開拓にとどまらず、共同体を構築し、運営を行ったことが、後世の人々及び子孫によって顕彰されています。遠野出身の台湾人類学者である伊能嘉矩の祖父・友寿は「及川氏の開拓した土地は小さいが、自ら先陣を切って民衆を率いたその労は大きい。」と評しています。
 今回は及川氏の子孫の方もいらして下さいました。また信代さんのおじいさんは源次郎が奨励した「外山しゃくし」を作ることができる唯一の伝承者で、持参した本物の「外山しゃくし」にみなさん興味をもっていました。

今回のテーマは及川源次郎です


寒い中お集まりいただきました

カテゴリー 市民講座