mark 沓掛観音窟

上郷町細越にある沓掛観音窟の氷柱が新聞の一面を飾り、広く知られるようになったため研究センターにもいくつか問い合わせがありました。 けれど恥ずかしながら一度も見に行った事がなかったので、良く晴れた日に行ってきました。 氷柱も氷筍も洞窟の岩の割れ目から滴る雫が凍ったものです。 氷筍は雫が地面に落ち一瞬で凍りついてできるので、タケノコのように上向きに大きくなります。 あまりに寒すぎると滴り落ちることなく氷柱になってしまうので、洞窟内が-3℃くらいの気温のときが氷筍の好条件だそうです。近くで見られる氷筍は成長途中といった感じでしたが、洞窟の高いところにできたものは目測で1メートルくらいありそうでした。大きくなる過程で気温差があったのか、透明な層と空気の入った白い層が交互になっていて、確かにタケノコのように見えます。 3枚目、岩の間に白い氷筍がニョキニョキ林立しているのが見えました。なんだかムーミンのニョロニョロみたいです。    新聞に載る以前から、地元の人にとっては知る人ぞ知る冬の景色だったそうです。私が行った時には2、3人の先客がいて、カメラを片手に洞窟内を歩いていました。 訪れる人が多くなり、大勢の人がこの光景を楽しめる機会を得た反面、困ったことも起こるそうです。 氷柱や氷筍を折っていく人がいるそうです。あまりにきれいなので手を伸ばしたくなる気持ちは誰もが持つと思いますが、ぐっと堪えましょう。 自然が作り出した景色は誰のものでもありません。 氷柱や氷筍の美しさを独り占めせず、自分の後に訪れる人たちとこの景色を共有できるように心がけてほしいです。 【松浦】

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mark 小正月

今日は1月15日、小正月です。 昨日知り合いの農家さんからお誘いがあったので家にお邪魔すると、大小の鏡餅が沢山作られていました。 そして、「明日は小正月だからよ、これ家と車に飾っとけ」と大小一つずついただきました。 車に鏡餅?!と驚いて話を聞くと、毎年その農家さんのお宅では小正月になると農機具に一つずつ鏡餅をお供えするのだそうです。 昭和15年(1940)に出された『上閉伊郡鱒沢村郷土教育資料』には次のように書かれています。 「往昔、正月は殿さまの年取りと言はれて居たらしい。それ故に民間に於ては、小正月よりその行事は盛大でない様に思はれる。(小正月は百姓の年取りと言はれるのは正月に於ける諸行事のために、百姓から人夫が殿様の下に参り、一家全員にて年取りは出来ないために、小正月に行はれて居たと考へられる。)」 お百姓さんにとっては正月より小正月の方が忙しかったようです。 (小正月行事について詳しくはこちらをご覧ください→「小正月行事」(リンク)) 農家さんのお宅では昔から「道具の年取り」として鏡餅をお供えしていたそうですが、それが道具から機械に代わった今でも変わらず続けられていました。 私は車がないと通勤できないので、車が仕事道具ということになるのかもしれません。 これまでの働きに感謝しながら、これから一年もよろしく、と鏡餅を飾りました。 【樋口】

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mark 猿ヶ石川の由来と相聞歌

金曜夜の読書会で読んでいる『遠野古事記』、今月は猿ヶ石川の由来についての部分でした。子どもの頃に誰かから聞いた由来は「川の中に岩があって、それが離れたところからみると猿のようにも見えるから“猿か?石か?”と尋ねた人がいたのが猿ヶ石川の名前の始まり」ということでした。 けれど、遠野古事記が伝える由来はちょっと違いました。 昔、山田出身の左内という男が宮中で雑役をしていたとき、清滝という官女に恋焦がれて和歌を贈りました。身分違いの恋の末に清滝は身ごもり、二人は宮中から逃げ出し、左内の故郷である山田を目指しますが、追手がかけられたため、東禅寺近くの岩屋に身を隠します。身重の清滝に、気の休まらない長旅も岩屋暮らしも酷だったのでしょう。清滝は病となり亡くなってしまい、左内は泣く泣く亡骸を埋葬して墓印に岩を置きました。麓から見上げたその岩が猿のようにも見えたと言い、そのため岩の傍から流れ出る川を「猿ヶ石川」と呼んだのだそうです。 身分違いの悲恋が由来だなんて、ロマンチック!石を猿と見間違えるのは同じなのに、ロマンスが加わるだけで受ける印象が全然違います。 また、遠野古事記には清滝と左内の和歌のやり取りが何首か伝わっています。 左内「雨ふらて うゑしさなひも かれはてん 清滝落ちて 山田うるほせ」 清滝「及なき 雲の上なる きよ滝に 逢んとおもふ さなひはかなし」 左内「かけ階も 及はぬ空の 月日たに きよきけかれの 影はへたてぬ」 清滝「よしさらは 山田に落て 清滝の 名を流すとも 逢うてたすけん」 ちょっとドキドキするような駆け引きの恋歌です。 一首目の左内の必死さ、身分違いの女性に振り向いてもらうためのストレートな告白が素敵です。 返事を出した清滝の、身分を意識させるツンとした言葉の中にも付け入る隙を見せて相手の出方を待つかのような二首目も素敵です。 受けた左内の三首目は、一首目よりも必死さが強いです。身分違いだっていいじゃないか、好きなんだ!という叫びが聞こえてきそうです。 その必死さを受けて、四首目の清滝の「よしさらは(ば)」につながるのでしょう。「よし、それならば」という意味の言葉です。直前の言葉を受けて、「あなたがそれほど言うのなら」という現代語訳で合っていると思うのですが、言葉を加えながら私の脳内清滝像で解釈するとこうなります。 「そんなに私に焦がれていると言うのね、仕方のない人。いいでしょう。“身分違いの左内と恋に落ちた”と私の名が世間に広まっても構いません。あなたに会って、枯れ果てそうだという命を助けてあげましょう」 こんな感じに、ちょっと上から目線でありながらも、世間からの批判を受けてもかまわないから会いたい、というメッセージがあるんじゃないかなと妄想しました。 和歌の良いところは、音ではなく文字で記されることで、言葉の解釈を読み手にゆだねているところだと思います。たった三十一文字の中に、情熱や感情を読み取らせるように言葉を配置する、和歌ってとても素敵です。 こんなふうに私の想像力を掻き立てた今月の『遠野古事記』の口語訳はこちらからご覧になれます。→【口語訳遠野古事記】猿ヶ石川の由来と御検地、小八戸氏 次回は1月9日㈮18時半から遠野文化研究センター大会議室で行います。 興味のある方はぜひお越しくださいませ。 【松浦】

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mark 六角牛登山と天保の飢饉

遠野三山伝説のひとつ、六角牛山に登ってきました。 『遠野物語』の二話目に、三人の女神が早池峰・六角牛・石上のそれぞれの山を領すことになった経緯が記されています。末の妹女神が司る早池峰山は附馬牛の奥にあり、実は遠野の町中からは見ることができません。そのため、どーんと聳える六角牛山のほうが、なんとなく親近感があります。「我が家の庭から見える六角牛山はとにかく姿がいい」「いやいや、うちから見える六角牛山が一番!」なんて会話も聞かれるほど、遠野市民の日常に欠かせない風景のひとつです。 前情報として、「六角牛山はとにかく木が多くて、登りきるまでは見晴らしが良くない」「熊が多い」「難所はないがトレーニングコースのように黙々と登ることになる」…などなどの話を聞いていました。実際登ってみると、確かに木々や藪が多く見晴らしは良くありませんが、まだ紅葉が残っている木や、現代アートのような巨石が楽しかったです。休憩にちょうどいい石もありました。7合目手前までは傾斜も緩やか。これなら楽勝だな、と思ったそこから先、7合目から8合目は岩場が続き、風景も見えず、黙々と上を目指すストイックな登山道でした。しかし山頂に着くと、これまでの山道を耐えきったご褒美のように遠野の風景が広がっていました。   山頂から下る道があるので降りてみると、岩場にお地蔵様がいました。遠野の町を見守るように立っています。『天保六年』と見えます。天候不順による凶作が続いた天保年間に建立されたようです。   いま読んでいる江戸時代の商家の記録に、天保の頃に人々がどれほど厳しい生活をしていたのかが記されています。毎月の米穀の値段がどんどん高くなっていく様子とともに、充分に食べられないために人の心が荒れて盗人や火付が多くなる、食べていけない人が欠落(※棄農して土地から逃げ出すこと)して乞食が増える、飢えや病で人々が毎日死んでいく、その死骸を川原の桶に積んでいく、食べるものがなく一家心中…。読んでいると、「込り候(こまりそうろう)」という言葉が目につきます。とにかくいつも食べ物に困っています。食べることができない、という極限状態が続くことがどれだけ過酷なのか、恵まれた現代に生まれた私には想像しかできません。読み続けていると暗い気持ちになることもしばしばあります。 書中では「心さひしき(さびしき)世の中也」という言葉もたびたび出てきます。衣食足りて礼節を知る、という言葉もあるように、飢えに苦しむ人々の心は荒んでいたのでしょう。 そんな中で建立されたのだろうお地蔵さまは、餓死した人々の供養のためだったのかもしれません。 六角牛山頂で思いもかけずに天保の飢饉に思いを馳せ、お地蔵様が見守る遠野市外へ戻るため山を下りて行きました。帰り道はやはりストイックな登山道を黙々と下り、無事に家まで帰りました。 そういえば登山の2日前に六角牛山に今年最初の雪が降ったのですが、その後晴天が続いたので雪の気配はないかな…と思っていましたが、ありました!日影に雪が残っていました。 六角牛山に三度雪が降ると、里にも雪が降ると言われています。 もうすぐ遠野に冬がやってきます。 【松浦】

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mark かたづの!

今月の口語訳遠野古事記を更新しました。 12日の夜に行われた講座は、遠野城下にあった御蔵の話や鍋倉城の火事と再造営についてでした。 詳しくはこちらをご参照ください →【口語訳遠野古事記:御蔵の造営と御城の火事】 さて、先月集英社から出版された中島京子さんの著作「かたづの!」を読み終えた方はいらっしゃいますか?中島京子さんは、今年1月に公開された映画「ちいさいおうち」の原作者で、同作で直木賞も受賞した人気作家です。 最新作「かたづの!」の主人公はあの清心尼公だというので、これはぜひ読まねばとわくわくしていました。先日読み終え、とても面白かったのでぜひ多くの遠野好きの方にも読んでいただきたいと思っています。 ネタバレを控えるため内容には触れませんが、教養の限りを尽くして〇〇する清心尼公がカッコよくて痺れました。個人的におすすめのシーンです。 金曜夜の読書会は二年目になりましたが、これまで読了した遠野古事記に出てきた事件や人物が小説に登場します。彼らは日本史に登場する歴史の重要人物たちと違い、個々人の性格だとかエピソードの資料はほとんど無く、仮にあったとしても断片で、人物像を想像する材料は多くありません。その少ない材料を組み込んでそれぞれに個性を持たせるのだから、小説家の文章の力というのは本当にすごい。名前や役職、断片しか歴史に残らない人物たちが、小説の中で動いて話して生きている。名前しか知らない彼らに対し途端に親しみが湧き、生きた時代や人物像を想像しやすくなります。 もちろん小説ですから、歴史を元にしたフィクションであり、しかもファンタジー的な要素もある本作を「これが真実の清心尼公や遠野南部家の歴史だ!」と言い切るのは大変危うい間違いです。 ですが、想像力を刺激するきっかけを与えてくれる、とても面白い作品だと思いました。今は予約がいっぱいだそうですが、図書館に配架されています。ぜひ読んでみてください。 そして遠野南部家の歴史に興味を持ったら、金曜夜の読書会にいらして下さると嬉しいです。

図書館員もオススメ!

【松浦】

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