mark 【大修復!劇的ビフォーアフター】

   国の重要文化財に指定されている「千葉家住宅」は、現在約十年がかりの大修理工事が行われています。その現場の一部をご紹介します。

風呂【小】          千葉家釜跡

Before                                                    After

  After画像の中央は昭和49年に設置された五右衛門風呂があった跡です。ここで薪を焚いて風呂を沸かしていました。長年の炎で土が赤く焼けているのが判ります。手前の洗い場だったところを発掘すると、馬釜の跡が見つかりました。ここは、人が住んだ母屋部分と厩の間にあたる土間であるため、馬も暖を取れるよう設置されました。THE家。

 

ウチニワ7-1【小】           曲がった梁   

Before                                                       After

  昭和の改造で取り付けられていた鴨居の裏にはうねった梁が。絶妙なラインですね。

 

二階東6アップ          新聞広告

Before                                    After

  かつて2階の座敷は主人一家が寝起きする部屋だったそうです。ガラス戸奥の壁紙を剥がすと明治41年発行の新聞が。当時のレトロな広告にしびれます。これによりこの部屋の改造が明治頃に行われたということがわかったそうです。
写真には写っていませんが、この壁の反対側の壁には何やら不穏な落書きが…。

 

主屋_外11【小】         DSC_0018

Before                                                     After

  なんということでしょう!千葉家のシンボルである大きな茅葺が剥され、巨大な骨組みが姿を現しました。こうしてジャングルジムのように組み上げる構造は曲り家では珍しく、特徴の一つに挙げられます。アステカのピラミッドみたいですねえ。
座敷の外側にあたる左下の壁だけ土壁が施されていないことにお気づきでしょうか。詳細は不明ですが、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という俗信によるものとのことです。

 

ウチニワ4【小】         番付

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  指で示した数字は「柱番付」です。主要な柱に墨で記され、効率的な組み立てや平面図上で位置を正しく把握するのに用いられます。

 

土蔵1【小】          板葺

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  高い足場が組まれる工事中しか拝めない!瓦を剥いだ蔵の屋根です。元々の屋根の姿が現れてきました。今では高価なクリの板で葺かれています。ここまで歪みもなくきれいな状態で保存されているのは貴重だそうです。この蔵は2階建てと3階建てがくっついていて、2階建て部分は主に食糧庫、3階建て部分は書庫や貴重品入れとして使用されていたようです。

  8月5日には現場見学会が開催され、匠たちによる解説も行われます(要予約)。貴重な機会をお見逃しなく! →<第二回千葉家保存修理工事見学会チラシ>

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mark リトアニアと遠野

リトアニア共和国はヨーロッパのほぼ中心に位置するバルト三国の一つです。 日本とは戦前から外交関係があり、1939年に当時の暫定首都・カウナスに領事館が開設されました。この領事館は第二次世界大戦時、領事代理であった杉原千畝(すぎはら ちうね)がポーランドなどから逃れてきたユダヤ系避難民に対して日本通過ビザを発給した場所としても知られています。日本外務省の反対を押し切って発給したこのビザによって、約6000人の避難民がナチスドイツの迫害から救われました。後年、千畝はイスラエルから「諸国民の中の正義の人賞」が授与され、世界的に高く評価されています。 この千畝の勇気ある決断と実行には、正義感あふれる妻・幸子(ゆきこ)の力強い支えがありました。幸子の父・菊池文雄は遠野出身であり、市内には杉原千畝・幸子夫妻の顕彰碑が設置されています。 DSC_7886 今年7月、在リトアニア日本大使館の重枝大使がそういった縁で遠野を訪問し、記念に大使館からリトアニアの絵本5冊が遠野市に寄贈されました。10月6日(木)まで市立図書館のカウンター前にあるミニコーナーに展示しています(貸出不可、閲覧のみ)。日本ではなかなか見ることのできない、リトアニア語で書かれた絵本です。言葉はわかりませんが、表紙の裏には大使館の職員による絵本の日本語の説明があります。 絵も可愛いのでぜひ手に取ってご覧ください。 DSC_0238

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mark シオデ【方言名:ヒデコ、シオデコ】

はじめて「ヒデコ」という名前を聞いたときは耳を疑いました。そんな人の名前みたいな山菜が?もしかしてアイコの親戚ですか?と聞いたら「全然違う」と。「形は長いアスパラで、節からツルがぴょーん、ぴょーんて出てるんだ。」…まったく想像がつかないので今度みつけたら教えてください、とお願いしたら、本当に言われた通りの形でした。 この話を教えてくれた農家さんによると、「田んぼの草刈りをしている時に見つけるのだけれど、群生しないし、いつも違うところに生えるから珍しい山菜だ」とのこと。アスパラと同じように茹でて食べてみると…美味しい!味もアスパラだけど、お店で売っているのより味が濃い! それからというもの、その農家さんが見つけるたびに頂いています。写真は先日、今年一番のものがとれたぞ!と頂いたものです。茎の部分が赤黒いのですが、ゆでるときれいな緑色になります。 DSC_7413 DSC_7419

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mark 山口の水車小屋改修工事完成披露会

国の重要文化的景観に選定されている土淵町山口集落のシンボル、水車小屋が改修され、この度完成しました。 改修前   改修後 (改修前)               (改修後) 改修前は屋根の痛みが激しく、地盤は沈下し、建物の土台は腐れが生じていました。また、小屋の内部も水車の動力で動く杵や臼がありましたが、油汚れや壊れて利用できない状態でした。 解体修理をするに当たり、今後水車小屋をどのように活用していくのか、地元の方々や岩手大学の学生さんたちで平成26年からワークショップを開催し改修方針を決定。その結果、全体の雰囲気を残しつつ壊れないようにしっかり修理し、杵や臼などの内部も活用できるように改修することが望ましい、という意見になりました。 工事は平成27年9月に始まりました。10月に建物をすべて解体した後、沈下しないように地下にコンクリートを打って基礎を強化。その後、組み立ては使える部材を再利用し、新材は主に国産のアカマツやクリを使い、遠野産のカヤで地元の職人が屋根を葺き完成しました。内部も石臼を新調し、脱穀や製粉が出来るようになりました。 解体  萱葺き 先週5月14日には改修工事完成披露会を開催。 地元の方々や関係者が見守る中、水車小屋に流れ込む水路の水門が開けられ、無事に水車と杵が動きました。臼に入れられた米が10分もしないうちに粉になり歓声が上がりました。 また披露会では、婦人会の方々が上棟式や落成式の時に唄われる「地固め節」を踊って、水車小屋の完成を祝いました。 搗き初め  地固め節 新しい水車小屋の壁は無塗装のため、数年後には色が落ち着いて風景になじんでくるそうです。 黄金色に輝く水車小屋を見ることが出来るのは今だけです。ぜひ、山口集落に足を運んで見に来てください。  水車小屋 【樋口】

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mark 東北横断自動車道釜石秋田線 遠野IC~宮守IC開通!

色々なニュースで取り上げられたのでご存知の方も多いと思いますが、12月5日(土)、ついに釜石自動車道が遠野ICまで開通しました! 開通記念として、11月29日(日)に鱒沢地域づくり連絡協議会主催で「自動車道を歩こう会」が開催されたので参加してきました。開通すれば決して歩くことのできない貴重な機会!地元民を中心に約40人の方が集まりました。 まずは宮守ICの入口で県警高速警察隊による自動車道逆走防止の講習が行われました。

宮守IC下
2012年11月に東和-宮守間が開通して以降、逆走する車が多数目撃されていることが話されました。 間違えて逆走する入口に入ってしまった場合は、一旦路肩に停止し、110番通報をするように教わりました。重大な事故につながるため自分で判断するのではなく、誘導するパトカーが来るまで待ちましょう。 その後、宮守ICから遠野ICに向かって約2キロの場所にある中沢川橋付近まで歩きました。 遠野方面  東和方面    (宮守ICから遠野方面)        (宮守ICから東和方面) 普段は車でしか走ることのできない高速道路を歩くと、初めて気づくことが沢山ありました。 例えばこのガードレール、下に車輪が付いています。
ガードレール
このガードレールは柱の芯を抜くことで移動出来るようになっています。万が一の時、事故車や救急車両が通り抜けられるように500m間隔で設置しているそうです。 追い越し車線が合流するときの矢印。まだ新しいので目印の線が残っています。
矢印
中沢川橋から見た船渡橋付近。私たちの話し声が聞こえたのか、下の家から手を振って下さった方もいらっしゃいました。 鳴沢橋  帰り この釜石道は復興支援道路として釜石までつながり、2018年に全線開通する予定です。 【樋口】

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