mark 「鱒沢館」探訪

先日、土曜講座で鱒沢左馬助について発表しました。私が土曜講座で鱒沢氏を取り上げるきっかけになったのが、6月末に上鱒沢自治会が開催した「鱒沢左馬助の遺跡見学会」でした。鱒沢氏の居館であった鱒沢館は今まで木に覆われていたため全容が分かりづらかったのですが、その木が伐採されたため、この機会に歩こうと企画されたものです。 <鱒沢館全景> 鱒沢館は長泉寺裏の山の末端にありますが、地元の方でもここに昔「館」があったとは知らなかった、という方が多くいらっしゃいました。 本丸跡へはブルドーザーの通り道をつたって歩きました。この道は実は堀の跡で、何百年と経つうちに土が流れ、平たんになったため通りやすかったのだろう、ということです。 この写真を見れば堀の深さがわかるのではないでしょうか。土塁の高さが人の二倍以上あります。築城当初はこれよりさらに堀が深かったのかもしれません。しかも、山を登るための登坂路は複雑で、館の作り方を知らないと本丸に行けない、という堅牢な作りになっていました。 鱒沢館は大規模な二重空堀の内側に、階段状の平場を設けており、そこに本丸や家臣の住む建物、防御施設があったと考えられます。 頂上近くには今でもお社がありました。 <鱒沢館から遠野方面を望む> 鱒沢氏は当時遠野を治めていた阿曾沼氏の分家として始まりますが、次第に勢力争いが起き、ついには謀反を起こして阿曾沼氏を遠野から追放します。そのためか、鱒沢氏には余りいい印象がありません。はたして、謀反を起こした鱒沢左馬助とはどういった人物だったのか…鱒沢氏は断絶してしまい、くわしい記録は残っていないのでその人となりは分かりようもありませんが、左馬助の生きた時代背景を土曜講座で追いました。その内容をHPで公開しているので、もしよろしければご覧ください→<土曜講座「もっと知りたい!遠野の先人」第2回報告>(リンク)

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mark 綾織町の石碑調査やっています!!

私達は遠野市綾織町の石碑調査を実施しており、今までの調査で94基の石碑を確認しています。今回はその中の一部を紹介しようと思います。 まずは、大久保地区コミュニティセンター隣りに置いてある「義勇消防之碑」です。 この碑は1968年(昭和43年)に行われた第2回岩手県消防操法大会にて遠野市消防団第二分団第二部が可搬の部(可搬ポンプの部)で優勝したことを後世に伝えるべく2005年(平成17)に建てられました。これには優勝した時の様子やその後2年連続県大会に出場し、ブロック優勝の快記録を達成したことなども記されており、どれほど消防活動に力を注ぎ、この快挙を喜んだのかが感じられました。

「義勇消防之碑」 表面


「義勇消防之碑」 裏面

次に紹介するのは綾織町山口の愛宕神社にある「金刀比羅神社 明治十二年 己卯六月十日」と彫られた石碑です。摩耗して完全には読み取れなかったのですが、この石碑の裏にはたくさんの人名が彫られており、当時金刀比羅参りにたくさんの方が参加、もしくは協力したのではないかと思われます。 他にもこの神社には山岳参詣に関する石碑が多く、年代も文政から昭和までと長く、遠野は昔からたくさんの方が山岳参詣を行っていたのではないでしょうか。

        
        

この他にも念仏供養塔や馬頭観音、記念碑などの石碑を調査しているので、こんな石碑があるよ、などの情報提供をお待ちしています。ご協力お願いします! 【田澤】

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mark 駒形神社奥宮

気持ちのいい秋晴れが続き、標高の高いところでは紅葉が始まり絶好の山日和です。 先日、ずっと気になっていた駒ヶ岳に登ってきました。 「駒ヶ岳」と聞くと真っ先に思い浮かぶのは秋田駒ヶ岳ですが、今回行ってきたのは夏油三山のひとつ、北上市と金ヶ崎町の間にある駒ヶ岳です。 この山は1642年(寛永19年)に作られた盛岡藩と仙台藩の藩境の始まりです。この駒ヶ岳山頂からずっと東へ東へと藩境を定めてゆき、終点の釜石・唐丹湾まで藩境塚が築かれました。その距離は約130km。2000年(平成12年)には現在まで残った一部の境塚群が国指定史跡に認定されました。 遠野古事記にも当時の境界争いについて、当時の南部家・伊達家の緊張状態にあったことが分かる記述があります。 スタート地点である駒ヶ岳の藩境は、農業に欠かせない水利権に深く関わる境決めであり、山頂のお駒堂は両藩が管理する協定が結ばれていました。自領へ有利になるよう互いに虎視眈々と牽制しあっていたようで、「そこまでするか…」と感じてしまうエピソードもあります。2月の日記でも触れているのでエピソードについてはこちらをご確認ください→(学芸員日記:藩境塚リンク※2月日記中で駒ヶ岳に登った記述がありますが、駒ヶ岳違いでした。) 駒ヶ岳の標高は1129.8mとそれほど高くありません。 今回は仙台藩側の参拝口、金ヶ崎のうがい清水登山口から登りました。かつての参詣者はここで身を清めてから山頂を目指したのだそうです。 登山口からしばらくはブナの林が続き、とても気持ちの良い場所です。 9月の陽光が葉を通って緑の影を作っていました。溢れる緑の光の中を歩いていると、日頃の煩悩やモヤモヤしたものがなくなっていく気がします。    奥宮までの残り150mほど急角度な道を登りきると、パッと視界が開けます。真っ青な空の下にお駒堂がありました。 お堂は2009年(平成22年)に建て替えられたそうです。中には白馬と黒馬の神像が祀られていました。藩政時代には白馬が盛岡藩・黒馬が仙台藩の神像だったと聞きますが、藩境が取り払われた現在はどうなのでしょうか。それに白馬が親子です。    なにか意味があるのか気になります。 現在このお駒堂を守っている水沢駒形神社の山下宮司によると、「晴れを願う時は白い馬に、雨を願う時は黒い馬に祈る」らしく、晴れを望む人が多かったので白馬の神像を二体奉納したのだそうです。 水も晴天も農業には欠かせないものです。お駒堂から見下ろす北上盆地は黄金色で、昔の今も人々が変わらず願い続けている通りの実りの秋の風景でした。 盛岡・仙台両藩の水争いの出発地点から豊作を見守るお駒さまたちも安心していることでしょう。    9月27日に長野県の御嶽山で噴火が起き、多くの登山者が被害にあわれています。被害にあわれた方のご冥福をお祈りするとともに、山はこわいものなのだと改めて感じました。 これから紅葉の季節になると、登山がますます楽しい時期です。その一方で、山の事故が多発する時期でもあります。山では自然災害のほか、熊の出没や怪我や遭難の危険性が平地よりずっと高いのです。 「険しい山ではないから…」「慣れているから…」「なんとなく大丈夫」と前準備を怠って山に臨んでいないでしょうか。億劫がって入山者名簿や登山者カードを記入せずに山に入っていないでしょうか。登山者保険を無駄だなものだと決めつけて詳しく知らずにいるのではないでしょうか。 これは全て自分に返ってくる自問自答です。 皆さんもルールを守って、安全に楽しく秋の山を満喫しましょう。 【松浦】

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mark 刀剣の手入れをしました!

遠野文化研究センターの熊谷です。8月26日、博物館実習に来ていた大学生らの現場にお邪魔して、私も久しぶりに刀剣の手入れをしました。 博物館の現場を離れた約7年間。さすがにやっておかなくてはと、ついでに私もお願いしました。 講師は小笠原調査研究課長。初心に帰って実習生と一緒に取り組みました。 お手本で課長が3振りほど手入れしたところで、「そろそろ誰かやってみるか?誰かというか熊谷だな」と。この流れはお約束で、ドキドキの瞬間が訪れました。 打ち粉だとか、刀用の油、目釘抜きなど、これまた久しぶりに目にするものばかり。まずは目釘を抜いて、鞘から刀をゆっくり抜き、柄から刀をはずし…はずせない!あれ?左手で刀を持ち、右手で左手の甲あたりをトントンたたいてはずすのだが、おかしい。 できないのかな?というまわりの視線、上昇する心拍数、額にも汗が出そう。基本刀を持っているときに話すことはだめ。落ち着いてもう一度トントン。「コツッ」あ!この感触ははずせた!できて当然、とばかりに平然をよそおい、軽く古い油をふき取り、打ち粉を打って、古い油をしっかりふき取ります。新しい油を塗って刀を柄に収め、鞘に入れて無事終了。

刀の手入れとあって、皆さん、真剣です(筆者中央)

打ち粉を打つ実習生

遠野市立博物館では刀の手入れは一年に一度ほど。次回の手入れにも参加し、しっかりと身に着けておこうと思いました。 ※詳しい手入れの様子、用具名などはこちらをご覧ください(去年の様子です)↓ 刀の手入れ 熊谷

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mark 鞍迫観音

先日、『遠野学叢書』出版のため遠野七観音の一つ、鞍迫観音に行きました。 遠野市宮守町上鱒沢にある鞍迫観音は遠野七観音の第四番札所で、仁寿2年(852)に慈覚大師が十一面観音を自ら刻んで安置したことに始まるといわれています。江戸時代の万治2年(1659)に観音堂が全焼し、現在のものは寛文10年(1670)に再建されたものです。その火災により観音像の表面は黒く炭化し、今でもその状態で堂内に安置されており、昭和52年(1977)に当時の宮守村有形文化財に指定されています。 また、観音堂は、古式な構造から岩手県における仏教建築史上、文化的価値が高く貴重であるとして、平成6年に県有形文化財として指定されています。 上鱒沢地区では「おかんのんさん」と呼び、毎年7月にはお祭りを開くなど、地域に密接した社として親しまれています。 遠野七観音とは、伝承によると、嘉祥年間、今から1050年ほどの昔、慈覚大師が諸国を巡って仏教を広めていたとき、この遠野郷で一本のカツラの霊木を見つけ、その木から7体の観音菩薩の仏像を刻み、7ヵ所にお堂を作り安置したというのです。また、一昼夜のうちに七観音をめぐると願いがかなうともいわれています。

鞍迫観音堂です。

4月の学芸員日記にて紹介した栃内観音も遠野七観音の一つで、鞍迫観音は遠野遺産4号、栃内観音は遠野遺産6号に認定されており、地域の方々に大切にされています。 遠野にお越しの際には立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 [田澤]

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