mark 駒形神社奥宮


気持ちのいい秋晴れが続き、標高の高いところでは紅葉が始まり絶好の山日和です。 先日、ずっと気になっていた駒ヶ岳に登ってきました。 「駒ヶ岳」と聞くと真っ先に思い浮かぶのは秋田駒ヶ岳ですが、今回行ってきたのは夏油三山のひとつ、北上市と金ヶ崎町の間にある駒ヶ岳です。 この山は1642年(寛永19年)に作られた盛岡藩と仙台藩の藩境の始まりです。この駒ヶ岳山頂からずっと東へ東へと藩境を定めてゆき、終点の釜石・唐丹湾まで藩境塚が築かれました。その距離は約130km。2000年(平成12年)には現在まで残った一部の境塚群が国指定史跡に認定されました。 遠野古事記にも当時の境界争いについて、当時の南部家・伊達家の緊張状態にあったことが分かる記述があります。 スタート地点である駒ヶ岳の藩境は、農業に欠かせない水利権に深く関わる境決めであり、山頂のお駒堂は両藩が管理する協定が結ばれていました。自領へ有利になるよう互いに虎視眈々と牽制しあっていたようで、「そこまでするか…」と感じてしまうエピソードもあります。2月の日記でも触れているのでエピソードについてはこちらをご確認ください→(学芸員日記:藩境塚リンク※2月日記中で駒ヶ岳に登った記述がありますが、駒ヶ岳違いでした。) 駒ヶ岳の標高は1129.8mとそれほど高くありません。 今回は仙台藩側の参拝口、金ヶ崎のうがい清水登山口から登りました。かつての参詣者はここで身を清めてから山頂を目指したのだそうです。 登山口からしばらくはブナの林が続き、とても気持ちの良い場所です。 9月の陽光が葉を通って緑の影を作っていました。溢れる緑の光の中を歩いていると、日頃の煩悩やモヤモヤしたものがなくなっていく気がします。    奥宮までの残り150mほど急角度な道を登りきると、パッと視界が開けます。真っ青な空の下にお駒堂がありました。 お堂は2009年(平成22年)に建て替えられたそうです。中には白馬と黒馬の神像が祀られていました。藩政時代には白馬が盛岡藩・黒馬が仙台藩の神像だったと聞きますが、藩境が取り払われた現在はどうなのでしょうか。それに白馬が親子です。    なにか意味があるのか気になります。 現在このお駒堂を守っている水沢駒形神社の山下宮司によると、「晴れを願う時は白い馬に、雨を願う時は黒い馬に祈る」らしく、晴れを望む人が多かったので白馬の神像を二体奉納したのだそうです。 水も晴天も農業には欠かせないものです。お駒堂から見下ろす北上盆地は黄金色で、昔の今も人々が変わらず願い続けている通りの実りの秋の風景でした。 盛岡・仙台両藩の水争いの出発地点から豊作を見守るお駒さまたちも安心していることでしょう。    9月27日に長野県の御嶽山で噴火が起き、多くの登山者が被害にあわれています。被害にあわれた方のご冥福をお祈りするとともに、山はこわいものなのだと改めて感じました。 これから紅葉の季節になると、登山がますます楽しい時期です。その一方で、山の事故が多発する時期でもあります。山では自然災害のほか、熊の出没や怪我や遭難の危険性が平地よりずっと高いのです。 「険しい山ではないから…」「慣れているから…」「なんとなく大丈夫」と前準備を怠って山に臨んでいないでしょうか。億劫がって入山者名簿や登山者カードを記入せずに山に入っていないでしょうか。登山者保険を無駄だなものだと決めつけて詳しく知らずにいるのではないでしょうか。 これは全て自分に返ってくる自問自答です。 皆さんもルールを守って、安全に楽しく秋の山を満喫しましょう。 【松浦】

カテゴリー 調査・研究